今年の更新、もしかしたら10回にも満たなかったのかもしれません。
ただ、今年の結びの更新についてはしっかりとさせていただこうと思います。

写真は今年の仕事納めの日(12/29でした)に見た、今年の東京タワーです。
写真ではわからないのですが、展望台の部分がキラキラと光っていました。
確か記憶では、昨年はそういうのが無かったと記憶しています。
あくまで想像なのですが、これは来年2012年がこの展望台のように
キラキラと明るいものになってほしい、というメッセージが込められているのかも
しれません。
『今年もいろいろありました』
1年を振り返る常套句としてよく使われる言葉です。
自分自身、この言葉を使うときに心に留めているのが、いろいろあった、
といってもその中身が同じ事は無いということ。
常套句に甘えること無く、その中身の本質をしっかりと留めておく
必要があるわけです。
話がそれてしまいましたが、今年はこの言葉を使うのが一番適当で、
そして一番ためらわれる年なのかもしれません、
日本全国およそ1億3,000万人、いや、世界の人口およそ70億人が。
2011年、文字通り激動の1年だったと思います。自然災害・世界的な財政不安・
そして世界情勢上の大変動。
振り返ってみると、「あれって今年の出来事だったっけ?」という事が
これまでよりも多く出てくるのではないのでしょうか。
そして、避けては通ることのできない3.11、東日本大震災。
東京駅近くの職場から帰宅することはできずに知人宅に避難。
翌日、満員の埼京線と異様な静けさを持った小田急線を使って
帰宅した事は今でも覚えています。
更に言うと週明け、どうしても出社しなければならなかった日の
超が付くほど満員の田園都市線と、計画停電の影響で電車で帰宅が
できずに車通勤の親と合流するために2時間近く京王線の東府中駅前で
待ったことも、記憶の奥深くにあります。
そして、現在は地震そのものの報道よりも多くなっている、
東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故に伴う放射能漏れの問題。
事故が起きてから、自体はより最悪の方向へ、とはなっていませんが、
現状が良くなっている兆しは全く見られません。
当然のごとく、この原子力発電所は廃炉となりますが、それにかかる年月は
30年から40年とも言われています。
今年の夏、関東地方の鉄道ではいわゆる節電ダイヤを始めとした
節電対策が行われました。
先週、京都・大阪に行ったのですが、電車等の節電対策(日中時間帯に
車内の電源が切られる)がこのタイミングで始まった感じがありました
(節電ダイヤ、というのはありませんでしたが)。
関西地方は原子力発電所の依存が高く、福島の事故前後に法定点検の為に
運転を停止した発電所が運転を再開できないでいるなかで需要の多くなる
冬に突入してしまった、というのがこの要因の一つです。
これまで経験談を元に記してみましたが、ここからは常日頃思っていて、
今回の地震によって改めて感じたことを記したいと思います。
ヒトという生物は非常に弱い存在。生態系の頂点に立っている、
という考えは単に自惚れているだけ。
そして、自惚れが頂点に達したところで奈落の底に叩き落される。
実際は、思ったより強くなんかないのに。
具体的なことは、非常にありすぎるのでここでは敢えて挙げません。
でも、今年の粗方のことはこの事に集約できるんじゃないかな…と考えます。
ただ、そんな中でも、だからこその楽観的な考え方があると思います。
これより悪いことはまず起きない。
今年が「非常に悪い」年だったとしたら、それよりも悪いことは起きないはず。
そして、それを信じて・願って行動を起こさないといけないと思います。
「悪い」事が起こるだけ起こったと考える人が多い2011年。
しかし先に記したとおり、2012年はこれ以上「悪い」事は起きないと考えています。
ところが、「悪い」事を見て・感じてきて、「悪い」事に敏感になっている
この身体とココロをそのまま持って行っても、恐らく「悪い」ことにしか反応を
示さなくなっているんじゃないかな…と少し怖い気もします。
時期は過ぎてしまいましたが、John LennonのHappy Christmasの歌詞の一節に
"War is over if you want it,War is over,now!"というのがあります。
あまりにも有名な一節なのでもはや説明すら不要かと思うのですが、直訳をすると
「あなたがそれを望めば戦争は終わるのです。あなたが望めば、今にでも…」
となります(一部自分なりの解釈を加えています)
それを望まなければ何も始まらない。
至極当然の事なのですが、とても重要で、とても大切なこと。
少し話がそれましたが、ここで何が言いたいかというと、
「良いことを望まないと、良いことは起きないよ」という事です。
拙い文章でアレなのですが、これが自分の一番言いたい事だったりします。
どうか、周りの「悪い」空気にココロ・身体を支配されないで下さい。
先ほどの続き。
たとえ叩き落されたとしても、這い上がるチカラを持っている。
これは、日本の例だけでも関東大震災、太平洋戦争、阪神・淡路大震災を経て、
それでも立て直しを果たせているという実績がある。
今年起きた東日本大震災後でも、立て直すことはできるのだと考えています。
確かに今回はこれまでと違い、時間はものすごくかかるでしょう。
残念なことに、これまでのツケを後世に背負ってもらう事になってしまうのでしょう。
だからこそ、今を生きている自分たちは、その子たちの為に生きなければならない。
果たして何が出来るのか?これについての答えは色々ありすぎて書ききれませんが、
この場に書くとするならば、次の世代に明るい道を作っていくことだろうと思います。
否、「何ができるのか?」ではなくて「やらなくてはいけない事」なのかもしれません。
私的な事がほとんど書けませんでしたが、この1年、自分自身の身の回りにも
色々なことが起こりました。
泣いて、笑って、悩んだ事だらけですが、冒頭に写真を上げた東京タワー、
昨年見た時よりは前向きに見ることができたんじゃないかな、と思います。
もちろん諸々課題だらけではありますが、来年はそれらを越えて
また、胸を張って見ることができたらいいな…と考えています。
そして来年は、ここでの更新をもっと増やしていきたいなと思っています
(具体的に数値目標を上げなければダメですね…汗)。
2011年という年に自分に関わってくれた人に深謝の気持ちを伝えつつ、
また、2012年もよろしくお願いしますという気持ちを残して、今年の更新を
締めくくろうと思います。
どうぞ、良い年をお迎え下さい。ありがとうございました。
written in 2011.12.31 aki.o/arkia(arkia_0901)
(2011年12月31日、11時25分)
3ヶ月どころか、ほぼ4ヶ月ぶりの更新ですね。
最後の更新が3.11の前だったので、もしかしたら…なんていらぬ心配を
かけていたのであれば申し訳ありませんでした。
冒頭に記したとおり、「あの日」から4ヶ月が経ち、既に100日以上経過しています。
今更、並びに月並みな言葉ですが、今回の震災の被害に遭われた皆様へ
お見舞い申し上げると共に、亡くなられた方へ心よりのおくやみの言葉を申し上げます。
記録として残す意味でも、当日のことを幾ばくか。
震災当日は職場にいました。
自分はあまり外(屋内含む)では地震の揺れを感じない人なのですが、そんな自分でも
この時の揺れは大きく、そして長く感じました。
外に出てみると、既に同じビルの他のテナントの人含めて100人近くが外に避難。
携帯電話が全然つながらないことを感じ、ただ事ではない事を実感。
職場近くに皇居があり、そこまで歩いて避難したのですが人も車も多く、
まさに大混乱とはこういうことなんだな。。。ということも実感しました。
家族と連絡がついたのは夕方過ぎ。
上司が持っていたPHSが偶然つながり、父親以外の無事を確認。
父親についても、職場の同僚が持っていた携帯に電話がつながり
19時前には全員の無事を確認しました。
そして郊外の民最大の懸念事項が立ちはだかりました。
自宅に帰る為の手段がこの辞典で確保されていないことです。
同じ東京都内にもかかわらず、23区内から電車で行くためには
必ず神奈川県を通らなければならない事で有名な町田市。
職場のある中央区から電車で1時間強かかります。
ご存知のとおり、当日のJRは首都圏全ての路線が終日運休。
自分は現在、通勤にJRは使っていないのですが、地下鉄・私鉄も
軒並み運休となりました。
皇居敷地内にあるレストハウスに避難しひとしきり情報を集めた後、
大半は歩いて帰途へ(23区内・川崎市・船橋市:およそ4時間くらいとの事でした)。
ちなみに、職場から自宅までの徒歩経路をgoogleマップで調べてみたら
国道246号線を歩いて7時間近く要するという結果が出ていました。
先ほど情報収集と書きましたが、ちょうどノパソを持っており、
iモードは繋がらなかったのですがPCのネットは比較的繋がりやすかったです。
そんな中、23区内に住んでいる知人にSNS経由にて連絡が取れ、一泊することにも
了解を頂くことが出来、ほぼタイミングで地下鉄(銀座線・南北線・都営三田線だったかな)が
動き始めたとの情報が入ってきたためまだ残っている人達に別れを告げて移動。
※自分が使っている私鉄路線ですが、当日は終夜運転をしたみたいです。
都営三田線を使っての移動だったのですが、乗り始めた日比谷駅はがらんどう。
切符はどうするのかな? などと思っていると改札は解放モード。
そのまま入るとちょうど電車が止まっていました。乗っている人はまばら、十分座れる状態。
余震に対する警戒とのことで、途中駅まで速度制限をする等々のアナウンスがあった後、出発。
…次の駅、大手町が大変なことになっていました。
あ、駅舎が壊れている等ではなく(汗)。
ひとことで言うと、朝の通勤時間帯よりも多い人ごみだったと感じました。
幸いにも座れていたので事なきを得ましたが、降りる駅まで人ごみが
解消されることはありませんでした。
改札で知人と合流。
知人宅にお邪魔する前にコンビニに寄ったのですが、印象的だったのが携帯電話用充電器が
ほとんど無かったこと。
その後の記憶に新しい食料騒動の前だったため、食べ物や水等については
特段問題なく購入はできました。
その後知人宅にお邪魔、近くの銭湯に寄り(普通に営業していました)、再度知人宅へ。
その後に控えていた、別の知人の結婚式の打合せ等々話していました。
※この話については別の機会に。これを書いているタイミングで既に終了しているため、
そう遠くないタイミングで書きたいと思います。
翌日は10時半過ぎに知人宅を出発。
埼京線で新宿まで出たのですが、自分と同じく帰る事ができなかった人が多数いたせいか、
ほぼ満員電車並みの混雑でした(通常の半分の本数だったというのもあるのかもしれません)。
そんな中、荷物が多かった(万が一、とのことで職場から色々持たされていた)自分は
既に乗っている人に助けられる一幕。助けていただいたのは齢60近くの男性。
同じドアから自分と同じくらいの年齢の女性も乗って来て、同じように
誘導。自分も無意識に誘導。そして何の抵抗もなく、池袋まで話をしていました。
全く見ず知らずの人なのに。
男性は、この週末に福島に旅行に行く予定だったけど宿が営業不能とのことで
キャンセル。女性も、昨日の交通マヒで帰れなかったとのことでした。
そして自分もこれから町田へ帰宅。何とも不思議な一体感がありました。
新宿で降りて、営業していたヨドバシへ。
携帯の電源自体は持っていたのですが、それをつなぐ専用のケーブルが
無かった為、あるかどうかを見て、そして確保。
※実はちょっと電池が微妙な状態でした。。。
そして小田急線で町田へ。定期は持っていないのですが、昨日の駅前の様子を
テレビで見ていたときに、いつもとは違うけど万が一、ということを考えて
町田経由で帰ることに。
小田急線は急行と各停がそれぞれ15分おきに出ていました。
異様な静けさに動揺しながら、電車に乗り、そして町田に着。
ここから更に乗り換えが発生するのですが、本数は3割〜5割のところ
幸いにもちょうどのタイミングで乗ることができ、そして帰宅となりました。
「まだ」4ヶ月なのか、「もう」4ヶ月なのか。
この問に対する答えとして適当なものはありません。
むしろ、そのどちらにも当てはまることばかり。
当日の自分の事については正直な話、もう4ヶ月前の事なんだ、
と思うことがある一方、原子力発電所の事故の復旧進捗やそもそも町の復旧が
ほとんど進んでいないままに気がついたら、と考えると
確かに時間は経過しているんだな、と考えざるを得ません。
個人的な話で恐縮ですが、知人がボランティアとして岩手県の釜石に滞在しています。
facebook上で現地の写真・情報を発信しており、その様子を見ていると復興への道の
険しさを痛感します。
現地で何が必要なのか、要望が一番高いのは食料品関連。食糧そのものも勿論なのですが
調味料やフライパンなどの調理器具、ラップ・アルミホイルなどのキッチン用品も
需要が高いそうです。
また、今は状況が変わっている可能性があることを先に断りを入れた後で、社内の
取引先経由でアメが欲しいというようぼうもあがっておりました。
これは4月末〜5月の話で、社内で200袋近くが集まり、現地へ送ったという
出来事もありました。
正直な話、自分がこの地震に関連する内容を発信するのは結構もやもや感を感じます。
おそらくそれはいろいろな人が感じていることとに類似していると思うのですが、
この3.11を経て自分は何をする必要があるのか、そして何が出来るのか、
その根幹となる解答が自分の中でまとまっていないのが原因なのでしょうね。
とはいえ、少なくてもこれは間違いなく言えるということをあげるとしたら、
同じ日本人として、否同じヒトとして苦しんでいる人を放っておくことは出来ないよね?
ということ。
救いの手を出す方法はこれこそ正解はなく。むしろ逆で、考えうるもの全てが正解となる
と思います。
そのなかで、自分が一番自分らしく自然体で出来ること、抵抗感なく出来ることをやれば
いいんじゃないかな。。。と思います。
(2011年 7月18日、 1時55分)