2022年12月31日土曜日、快晴。
歩む
「今年もいろいろありました。」「…色々って、何?」

…冷静に突っ込まれることもあるけど。ことしもこういう1年だったということは確か。
こう思わなくなったら、おそらく自分はおしまいなんじゃないかな、とも思ってみたり。
※ なおこのツッコミは、実話です(ぉ)。

目を瞑ると、禍の渦の音がまだしっかりはっきりとはしていて。
否、別の渦が巻いていて、その音なのかもしれない。
それでも前に進もうとして、進めなくて、足止めする人がいて、足掻いて、
まだ足掻ききれなくて、それでも今年は終わるわけで。

前に進みたい人と、進む人と、進めない人と、進まない人と。
この差、今後加速度的に広がり、取り戻すことのできないことになるんじゃないのか、と思っているのは自分だけでしょうか。

今年の自分、去年ラフを描いた姿に色を塗っていくことができたのか?
去年の自分からの問にまだ答えは出せそうにはない。
ただ、その答えを出すために必要なものはわかった気がして。

言えるのは、結局は自分自身だったということ。

よく、運は自分自身の手で掴む(掴め)的な言葉があるけど、
これって掴むための土台固めをちゃんとして、その上でつかもうとする人に
運は巡ってくるんじゃないのかな、と思っていて。
土台がちゃんとしていないとその上に乗っかっても崩れてしまうし、
また土台がちゃんとしていてもつかもうとしなかったら素通りするだけであって。
この言葉も、どこかの受け売りな感が否めないけど、それはそれだ。自分がそう思っているわけなんだし。

今年、最後の最後にこの言葉にハッとさせられる事があって。
自分自身は(後ろ向きな意味で)変わっていないんだな…と蔑んだのも事実。
詳細は流石に割愛ではあるけど、言えることは土台をちゃんと固められてないんだな、
という現実を自分自身から自分自身に突きつけられたのかもしれない。
まぁ、このタイミングでそれに気がついたのはラッキーだったのかな。
多分それがなかったら多少の浮かれ気分でこの後取り返しのつかないことに…
となっていた可能性もあったわけで。

ただ前と違うのは、その課題というか、壁を前向きに捉えられそうな感じがあって。
その壁の先には自分が進みたい道の続きが見えていて。

前はそれが分からなくって、でも周りの人にはそれが見えていて、
いやいや引っ張られて前に言ってた節もあった。
けど、その先の道も見えるようになって、引っ張る手の正体も解ってきて。

結局は、先人が述べたことに間違いはないわけで。
正確には、述べた内容の全てではなくその裏にある意図というべきか。
内容そのものは当然ながら時代背景等々で変わるため、そのまんま受け取ることは
できないけど(受け取るべきではない、といったほうがいいのかな)、
その言葉の芯にあるものは同じなわけで。

ではその芯をどのようにして読み解くか。
それは結局は経験なのかな…って思っていて。
この部分の読み解き方は人それぞれだと思うので人によって答えはバラバラ。
見つけたもん勝ちな部分があると思うけど、自分自身は典型的な経験論者。
それが故に、こういうふうに導くのかな。。と思っています。

そういう意味では、この出来事は今年の最大の収穫だったのかもしれない。
転んでもただでは起きない。転んでも泣かない。そんな感じ。

今年の漢字、「戦」という漢字だったようで。
自分も数年、これについて気にした年があったけど、今は全く気にもならない。
もしかしたら、言われなければ知らないまま、ということもあったのかもしれない。
これはあくまでも周りがそう思うだけであって、自分の中で必要では
なくなったから、なのかなと思っていて。

張り合うわけではないけど、自分自身にとっての来年の漢字は浮かんでいて。
それは「歩」という字。
将棋の中で最弱で、前に一歩しか進めない。直進二歩以上進めたり、後ろにも進めたり、
トリッキーな動きもできないけど、前に進めば「と」金になって、いろいろなことができる。
でも、結局は歩なわけであって、将棋の駒の中で一番弱く、
前に一歩しか進めない事実は変わらないわけであって。

なんか、自分自身に照らし合わせるにふさわしいなと感じた。
去年の末に、「歩」が成って「と」になって、そしてその「と」が取られて「歩」に戻って。
で、新たな「歩」を成らすべく考えるわけであって
(将棋は「歩」を成らせれば良いというものではないことは重々承知)。

まだまだ、考えながら歩を進めていくことは変わらないのかな、というのは間違いないのかも。
ただ、この道が正しい方向に進んでいる、という確信があるのでそれは気持ち的には楽かな、
とは思っていて。最も、気をつけないと気がついたら眼の前は崖、
ということも多分にあるので、それは気をつけないと。

そして、自分自身に足をすくわれる事のないようにしないと。

かなり遠回りして、でもようやく見つけた自分の「居場所」。簡単に離してなるものか。
来年は、自分自身との戦いの年になるのかもしれない。

…最後のこの一文を書いたとき、自分の中のスイッチが入ったような気がした。
この感覚、忘れるんじゃねぇぞ、と。

(2022年12月31日、23時25分)

2021年12月31日金曜日、晴一時雪。
いろいろ
「今年もいろいろありました」
な2021年。
ただ、今年の「色々」はなんだかいつもよりは違っていて。

00年後の世界史に確実に載るであろう「世界的な出来事」が遭って、
その尾を引いた2021年。
まだまだ予断を許せる状況にはなっていないけれど、それでも
共存の術を身につけつつあるのか、初期に賑わした「新しい生活様式」とか
New Normal" が一般的になりつつある
(海外のニュースでマスクをしていない人を見てどう思うか?日本でそういう人を見たらどう思うか?
ここでの違和感イコールこれまでのNormal が否定されつつある、と考えた次第で)。

今年の自分、あえて「世間知らず」になった感も否めないかな、と思うフシがあって。
これまでは、何から何までついていって振り回されてもしがみつく、というスタンスだったけど、
それを行う必要はないのかな?嫌だと思う、優先順位が低いと思ったらその手を離してもいいんだな、
と悟ったところはあって。
もちろん、自分の意とは異なっていても最低限ついていく必要があるものはそうしていましたが。

その理由を考えてみると、2021年ってこうも言えるのかな、と思ってみたり。

「今年はいろいろとやりました」
そう思うのには勿論理由があって。
これまでの振り回された感、よりかは振り回した感が上回っているのかな…と。

やろうやろうじゃなくって、ひとつずつではあるけど、色々と積み上げてきて、
それが形になって、何らかの反応があって。実にもなったこともあって。
「いろいろとやってきた」心の底からそう言うふうに思えるようになった。

今年って、Scrap and Build にはもってこいな年になるな、と思った昨年。
結果としてそうだったと思います。そして来年もそうなるでしょう。
そうでないものはどんどん置いてきぼりになっていずれ淘汰される。
表向きに変わっていなくても、その裏では細かい変化を繰り返している。
そう思っていて。

だからか、今年は特に否定・批判的な言葉にこれまで以上に嫌悪感を持った気がして。
正確には、否定・批判しかしない人、かな。
だったら、そのエネルギーを新しいものを産むのに使えや、って感じで。
否定・批判をするな、とは言ってません。念の為。ある種の原動力にもなるしね。

かく言う自分も、ここまでなんだか偉そうなことを連連記して自分が100%できているのか、
というともちろんそうではなくって。
自分の中でまだまだやな…って思うところもあったし、
それを指摘されたことだって何度もある。否定・批判したいことだってざらにある。
ただその時どう思うのか。今の時点での解は出たのかな、とは思う。

そしてもう一つ、自分の中で気がついたことがあって。

他人に対する嫉妬とか、憧れとか。
去年はその対象に追いつけ追い越せと言う考え方だったけど、今年思ったのが、
同じになんてなれっこない、だったらそういう考えを基に、その人が経験してない
モノコトと融合させて新しいもの・型を作っちゃえば良いんじゃないか。自己流ではなくて自分流。
そう考えて、気持ちはふっと軽くなった。

人は人、自分は自分。
発見と経験を繰り返してたら、どこにもいない「自分」というのが出来上がってました。
その自分に気がついた時、これまで自分の中で凝り固まっていた物がほぐれていくような気がして。

今年は収穫の年。はっきりとこういう事ができました。
ありがたいことに。

その分、来年は反動がくることがわかっていて。
ちょっとした試練の年になるのかなって思う。
でも今年出来上がった「自分」を用意して、そしてさらに(ごにょごにょ)すれば、
案外なんとかなるんじゃないかな、っていう謎の自信のようなものがあったりして。
この「ごにょごにょ」っていうのが何なのか?隠そうとしているわけじゃないけど、
今の段階でははっきりとはわからない。なんとなく見当はつけているけど。
それは来年の今日、答えが出せればいいのかな?

そういう意味を含めて今年はこの言葉で括ります。
それでは良いお年を。来年もよろしくお願いします。

「今年はいろいろとやりました。そして来年もいろいろやると思います」

(2021年12月31日、22時20分)

2020年12月31日木曜日、快晴。
個集
「今年もいろいろありました」

今年も去年には想像していないことが起きて、
また来年は今年の想像もよらないことが起き……
いやいやいや、今年のいろいろあったは流石に笑えないね。

それにしても、去年の今頃、日本中ではなく世界中が
大混乱になっているなんて誰が想像できようか。
まぁ、その予兆はあったといえばあったけどね。
ただ、その時の日本は対岸の火事、火の粉はこっちには降ってこない、
と言う根拠のない自信に溢れてたと思う。
まぁ数ヶ月後、そんなもの木っ端微塵になりましたけどね。


2020年の自分、仕事的にはクリティカルな事はなかったのかな、と。
全く影響がなかった、といえば嘘にはなるけど、いつも通り仕事に
振り回されて、気がついたら年末だった…とまとめ上げても
あながち間違いではなかったのかなと思います。
事実、99%出勤していましたし(残り1%は体調微妙が故の在宅勤務)


今年はこれまで当たり前だと思っていたことが、それこそ木っ端微塵となった年。
その中には、どこかのタイミングで壊したいな、と思っていたことが
この予期せぬ事態によって「壊れてくれた」こともいろいろあったのかな、
と思ったりして。
壊れて欲しい、壊したいと思っていたけど、その壁を壊す為の爆弾を
自分たちで用意することができなくて。そしたら予期せぬ方角から
爆弾が降ってきた、みたいな。
その最たる例がテレワーク、なのかな。他にもいろいろあるけど
(この辺の話、会社の情シス担当者ならわかるのかな?細かくは割愛しますが)。

そんな今年、「固執」ではなくて「個集」という言葉を考えるようになった。
尤もそんな言葉はないと思いますが。
というか、熟語ではなく単に「『個』『集』」という2つの言葉として
捉えたほうがいいのかもしれない。

自分は自分自身のために生きているのか?
それとも自分が属しているモノのために生きているのか?
今年の後半はこういう事を考えるが多くなって。
そして、周りの人(自分が直接関わっている人如何を問わず、自分が見ている人
全てを指して)も個を考えているのか?集を考えているのか?
そしてこの2択に迫られた時に、どのような理由でどういう決断を下すのか?
という事を見たり考えたりすることが多々ありました。

自分は会社勤めなので当然の事ながら集に属しているのですが、
その中にも「個」と「集」というものが存在するわけで。
「集」の中で「個」を出す必要もあり、この「集」が合わないと思えば
離れて新たな「集」を求めたり、「個」としての活躍の場を求めたり、
あるいは新たなる「集」を作ってしまう、という選択肢も
今なら珍しくないと思います。

さて自分自身はというと、こうは言ったものの、完全に「集」の中での後方支援係。
表に立つ人がいて、その人達の為にせっせせっせと燃料を補給して、という立場。

…のはずだった。

そんな自分の2020年は、気がつけばどの位外出(超弾丸、もあったりw)して、
どの位Web会議で人と接して、どの位の喜怒哀楽を出したのでしょう。
そしてそんなな中で集としての個、というのと集とは切り離した純粋な個、
というのを考えるようになったわけで。


会社を代表して(ミスると結構ヤバい系なこともちらほら)話をしていくうちに、
同業他社の、自分と同じ立ち位置にいる人と比較をするようになって。
そこに嫉妬や、あるいは憧れを持ったりして。なんかそうやって個って
磨かれるんだよな、っていう事を改めて感じるようになったのが、今年。
そしてこの延長線上にあるのが、来年。


果てさて来年の今日の日に、何を思っているのでしょうかね。
何度も人と衝突したり、はたまた爆死したりして、
それでも立ち上がっているのかな。
それとも。。。(あ、言うても自分はそんなに強い存在ではないので

来年は一体どうなっているのか?それは正直わからないし、予断を許さない。
現によくない話を見聞きしているし。感染者数的な意味で。
個人的には、この流れは暫く続くのかなと思っています。
確かに、今日の数字は多い。それでも、関係者の人たちが一所懸命
動いて動いて、のこの数字。抑えている、と捉えた方が良いのかもしれない。
無くなること・落ち着くことはないと思ってもいますし。じゃあどうなるか?
自分は、それぞれが自分なりの共存する道を見つけていくのかな、
と思ったりしています。いや、その必要があるのかも。


いつも、機を見つければ外出してい自分も、多分に漏れず家にいる時間が多くなって。
その中で、映画(TVで、ですが……)を見ることが多くなりました。
この中で、とある映画で人間と恐竜は共存の道を選ぶというくだりがあったのですが、
まさにこれを地で行く時代が来たのかな。と言うこともできたり。
恐竜とウイルスとで大きな違いはありますが。

この状況で、この中で、Better を見つけていって、そしてStandard に上げていく。
自分の納得のいく方法で。

なので自分は、自分自身ができる事を、自分のやり方でやっていきたいな、
と思っています。もちろん梵字徹底を怠る事なく、その上でね。
2020年のまとめというか、2021年の目標というか、はこんな感じになるかな。

いつも以上に取り留めがなくなっているけど、いつも以上に
来年どうしてやろうかって楽しみでもあったり。
ちょっと語弊があるかもしれないけど、今年はいろいろと
言い訳が通ってしまった1年。でも言い訳は免罪符ではなくて。
こう言ってしまった以上、やるっきゃないって思ってみたりも。

これが今年の、来年の自分への申し送り。

(2019年12月31日、21時40分)

2019年12月31日火曜日、快晴、風強し。
What I am.
2019年が終わる。

「今年も色々ありました。」
去年も言った、この言葉。去年だけではなく一昨年も一昨々年も、そしておそらく一昨々々年も。
遡ったらきりはないけど、おそらく「々」を延々つけるくらいになるのでしょう。
ただ、その内容は本当に自分の想像もつかないもので。それが本当に笑える。
もっとも、起きた事象が笑えるかどうかは別だけど。


「結局のところ、『私』って何?」
今年の終わりに残ったものは、人間ととしての究極の命題。
私は今何しているんだろう?これまで何してきたんだろう?
私は何で生きてるんだろう?何のために生きようとしているのだろう?私は……私は……


今の自分って、はっきり言って過去の自分が嫌いだった・なりたくなかった自分そのもの。
隠し通したいところでもあるけど、それが事実故、認めたほうが良いのかもしれない。

人は現状維持を求めた途端に後退していく。
至極当然のことなんだけど、それがなんだか他人事のように思えていて、まともに向き合わなかった。
しかし自分のすぐ後ろにいた訳で。気が付かずに自分は傷だらけ。
この中には人に抉られた傷もあるけど、その傷に対して向き合うのは誰あろう、自分自身だ。
結果としては自傷行為に走っていた、ということになるのかもしれない。

今年の自分は、自分自身で許せないことばかりしか浮かんでこない。
これをダメダメと呼ばずしてなんて言えばいいのでしょう。
唯一、自分自身で赦せるのであれば、遅かれそれに気がついたこと。
遥かに遅いけど…ってそのくらいにしておきましょうかね(汗


昨年の自分、どう思っていたのか。
「『路頭に迷ったら、自分を信じてみよう』」だって。
…なんだ、去年の自分、いいこと言ってたじゃん。

もうちょっと自分らしく生きてもいいんだよね?
なんのために生きるの?誰のために生きるの?
結局は自分が、自分自身が進む道。
周りから彩られたり、あるいは泥水引っ掛けられて、それでも生きていくわけで。
前に進むべきであって。自分を通す必要があるわけで。
もちろん周りも大事だけど、逆に利用してやろう的な考えがむしろ自分には必要なのかもしれない。

頼るのって、別に人でなくてもいい。自分自身に聞くのも、また、ありか。
そもそも、頼るという行為そのものに頼ってみようか。


そして、自分の想像外の「変」に期待もしてみようかとも。変化自体はきらいではないし。
死ぬことはないだろうし。ただ、、、起きることによってはそうとも言い切れないけどね(ぉ

そして今年は、自分の中ではっきりとした変化のあった年。
変化に期待をするのもいいけど、ちゃんとした変化を起こす必要もあるよ、と来年の自分に申し送りをしておきます。
怖いかもしれないけど、よほどのことじゃない限り死なないし。

あと、もうちょっと自分を労ってあげてね。 自分自身を厳しくするのも必要だけど、優しくするときはそうしてあげてね。

(2019年12月31日、21時40分)

2018年12月31日月曜日、快晴。
C
「今年もいろいろありました」

2018年が始まった時に、今日この日のことを想像してみてこう思うのか?
そんなことを頭の片隅に置きながら過ごしてみようと思って始まった。
果たして今年も、いろいろあった。
そしてそれは去年には想像もつかないことでもあったのも同じだった。

。。。ってことは、来年も?そう考えた方がなんだか良さそうね。


今年の目標、見返してみたら「挑」という漢字1文字に認めてた。
果たして「挑」んでたのか?
自分自身の胸に手を当ててよーーく考えてみたら、結果として
自分が思っていたものではないものに挑んだ2018年だったのかもしれない。
そして当初思っていたこととは大きく違った方向に挑んだ1年だったのもしれない。

挑んだのは、自分じゃなくてむしろ周りの人達、だったのかな。
自分は、それを後ろで後押しする側。
ある意味自分は手を出しちゃダメで、見守り、必要な時に手を差し伸べる役割に。
。。。なんだ、自分も結局はやったことないことに挑んでたんだね。
そしてそれは、自分の身近にあったことで、やりたいと思っていて
結果として素通りしていたことだったのかもしれない。

そう考えてみて、今年の自分は「これまで自分自身がやったことのないことに挑むのではなくて、
これまでやりたくてできなかったこと、やれなかったこと」をなぞっていく1年
だったのかもしれないってことに気がついた。
事実、仕事の話になってしまうけど、自分の仕事を人に譲って、
自分はもっと身の詰まったことをやることが多くなってきた。
そして、自分が仕事としてやるべき事・求められる事も去年と今年とで大きく変わった。
ありがたいことに、来年も自分自身の役割が変わることが多そう。
正直、色々と考えることの多い去年・今年だったけど、収穫も多かったのは事実。
来年がどうなるかはわからない。ただ、収穫できるものは穫っていこうとは思う。


ーーー
ここまで書いてみて。
自分、文章を書くことがものすごく下手になってるなってことを痛感。

自分の中で「まとめ更新」という位置付けてこの文章を書いているのですが、
ここ最近まとまっているのかどうか正直不安な状態

来年は、いろんな意味で自分自身の環境が変わるはず。その予兆が出たのも今年。
「平成」という名前がついたおよそ30年と幾ばくかも、来年には結ばれる。
否が応でも変わる来年、その中に於いて自分、どう動くのか。
それは365日後の自分に聞いてみるとしましょうか。

ここ最近、来年のテーマとして「変」という言葉を掲げすぎた。
でも懲りずに2019年も「変」を掲げるだろう。
ただし、この「変」はこれまでとは違うものであるだろうし、そして何より、 なんらかの「変」が確実視されている状態にある。

これまで、自分となんらかのつながりを有している人達との関係も変わるのかな…と感じている。
それがいい意味もあれば、そうでない(望まない)事もあるかもしれない。
ただ、自分を信じてみよう、とは思ってみる。自分は自分だし。
この言葉も、来年への土産として持ってってみようと思う。
自分のことだ。多分途中で路頭に迷うと思う。
その時に、この言葉の力を借りようとも思う。
そして、それだけでは足りない、至らないところをみんなに頼ってみようと思う。

(2018年12月31日、23時32分)

2017年12月31日土曜日、小雪。
Time is up! and,
2017年、今年も本当に色々とありました。
と、笑えるくらいな常套句ではあるけれど、この「いろいろ」が毎年本当に違っていて本当に笑える。

ただ、今年はこれまで以上に体力とか気力とか、そういうものを擦り減らした1年だったかな、って正直思う。
まぁ、半分は自業自得で、もう半分は…環境のせいだったのかな。
まぁ、何があったかについてはここで書くのもアレなのでやめときますが、
ただ良くも悪くも「いい経験になりました。」とは記しておきましょう。

今年はどんな年だったのか。正直言って、うまいこと纏めることはできない年なのかもしれない。
1分、1時間、1日、1週間、1ヶ月。
色んなことが目まぐるしく動いて、気がついたら1年間の最後の日だ。
これをコントロールするのが来年以降の課題か。たぶん前もおんなじ事考えたと思うけど、
年の終わりに改めて文字として残しておきましょうか。

ただ、終わったものは仕方がない、という風に思えるようになってきたのは今年の変化か。
泣いたって叫んだって暴れたって、2017年は戻ってこない。時空が歪んで時間が戻るのならば
それをやる意味はあるかもしれないけど、現状起こりえないことだし。
だったら、その後ろ向きなエネルギーを放つノズルを前に向け直したほうがものすごい意味のあるものになるはず。

自分は元来物事を後ろ向きに考える側の人間。気がついたら言い訳考えて物事をやらない方向に持っていってしまう。
それで色々と失敗して、痛い目見て、じゃあどうすれば、と考えて。そしてまた失敗して、の繰り返し。
そんなことをしているうちに、どうやら自分はノズルを逆に向けるということに気がついたみたいで。
今年は正直、レッドゾーンの限界ギリギリまで近づいていた節があったけど、あと一歩踏みとどまれたのは
この方法を知っていたからなのかもしれない。もし知らなかったらそのまま振り切れて…どうなってたんでしょうね?

その、いわゆる死線?三途の河?を見たからかどうかはわからないけど、ひとつ考え方として、
「絶対に離れたくない」という考え方から、時と場合によっては離れるというのも最適解になるんだろうな…
という風に思うようになった。
まぁ、これが何を意味するかはご想像にお任せします。

そんな2017年もまもなくおしまい。終わりなんです。
やり残した事はないか?今年の始めに計画した事、全てやりきったか?
。。。この質問に、胸を張って”Yes!"と答えられる人、地球上におよそ75億人いる中で
…何パーセントいるんでしょう。自分は、胸を張って"No!!!"と言う自信があります(ぉ
多分、二度と目が覚めなくなるまでYesなんて事は言えないでしょうね。

後悔の念は、もう少しでやってくる2018年への手土産として包んでおきましょうか。
来年の自分が良いように調理してくれるはず。

そしてここまで書いて、来年が楽しみになっている自分がいる事に気がついた。
特にアレがあるからコレがあるから、という訳ではないけれど、一度リセットして物事が始められる、
という事にわくわくしているのかもしれない。 今年の自分を振り返ろう、というよりも来年どうしてくれよう、と思う自分が在る。
もちろん、全てが思い通りに行くわけがないし、期待もしない。ただそんな中で「どうしよう」ではなくて、
どうしてくれよう?って思うようになったのは今年の大きな収穫かもね。
そういう風には、ひとりでは絶対思えなかったはず。そう思わせてくれたのは、今年1年自分と何らかの形で
関わってくれた人達のおかげ。本当に感謝。そしてまた来年もよろしくね。

(2017年12月31日、21時30分)

2016年12月31日土曜日、晴。
are you ready?
2016年も大晦日。実感が無いようでいて…やっぱり実感は無いみたいですw
今年も、例年になく多用な1年だったとは思います。ただ、去年よりかは「多忙」ではなかったのかな…

多忙じゃなくて多用。「忙」という字は心を亡くす。
事あるごとにこの言葉を使うのだけど、去年は色々と振り回されて、そのまま終わったような感じがした。
今年も相変わらずな感じだったけど、それでも少しは気持ちに落ち着きがあるみたい。

『今年も色々ありました』
毎年使っているこの言葉。2016年もこの言葉のお世話になる年でした。
とはいえ今年はこれらについてどっしり構えることができたのかな、なんて思ってみたりも。
…5年近くそういうふうに思えば嫌でも耐性がつくか(ぇ


今年の変化。
今年はいつもにも増して人との関わりが多かった。
まぁその裏には仕事上のやむを得ない都合というのがあるけど、それは割愛しとく。
ただ、それが却ってプラスになったのかな、なんてことも思う。

そもそもの話、仕事って人と人とのやり取りが大前提。
やれKnowledgeや、やれTechniqueやとは言うものの、これは二の次。
極端に言えば、人付き合いが上手い人はそれだけで飯食っていける。
そのくらい人と人とのやり取りって大事だし、人間関係って
お金に代えられないものだったりするわけで。
。。。まぁ、これを書いていて「しまった…」と思ったり、
反省したりすることが多数湧いてきたわけなのですが(-_-;)

振り返ってみて、今年はその意義を強く感じた1年だったのかもしれない。
落ち着きがあったというのも、これまでは自分の中にある不安を
自分自身で消化しようとして、でも消化不良なものが残ってその結果…というのがあったのかも。
今年は、人がいる前提で色々考え、動き、悩み、答えを出す。
まだまだできたもんじゃないけど、その結果が今の心持ちにつながっているのかな…と思う。


今年のはじめ、こういうメモを残していた。
大袈裟だけど、自分の行動指針的なものとして。
---
 ●さぁこい
 ●それがどうした
 ●自分を信ぜよ
 ●自分を愛せ
 ●郷に入っては郷に従え
 ●考→動 がベストだけど、動に至らなかったら0点。
  動→考は点数低いかもだけど、動いていることで0点にはならない。
---
改めて見てみて、これが果たせたのかは正直わからない。ダメだったな。。。と思う節もある。
でも、今年はコレ果たせた。や、来年はこれ果たせそう!と思う節もある。
これまではおそらく「やらなくてもいっか。なのでやらない」な自分がいたけど、
こういうふうに思えるのは今年の収穫。「今更??」と思うところもあるけど、
これは自分を褒めたい、とも思う。
※自分を褒めるのも大事だよね?甘やかす、とは違うけど。


今年はいつにもましていろんなことが変わった。
自分を取り巻く環境も変わったし、変えたところもあるし。
でも、来年は色々なことに変化が起きるのがわかっている。何もしなくても変わる。
周りが変わる兆しを示している。
だからこそ、今年の変化を変化とはせずに、その前段階にいる、という風に捉える。

変化って、怖いし、時として寂しいし悲しいし、そして何よりめんどくさい。
これまで良しとしたことがこれを境に悪しにだってなるわけだし。
だけど1%以上のワクワクはあるはずだし、楽しさもゼロだってこと、絶対にない。
さっき言ったとおり、来年は自分がなにもしなくても何かが変わってしまう。
だったら、それをきっかけに自分も変わってしまおう。利用してしまおう。

なので、2016年は「胎」という漢字でまとめたいなと思います。
来年が「変」になることが見えている以上、その流れに載っていくイメージで。

今年もこれのみの更新になってしまいましたが、年記として認めました。
それでは、また、2017年もよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
 /arkia(on 2016-12-31)

(2016年12月31日、21時30分)

2014年12月31日水曜日、晴。
ism.

「今年もいろいろありました」

月並みな言葉ですが、やはりこの言葉を使わせてもらう。
 そして毎年思う、この言葉に至るための経過・経験が全く違うということに。

2年前は自分自身の罪と罰を、 2年前は周りに振り回された、ということをこの言葉に込めた。
 そして今年は、内に秘めたままで、それでも出していなかった/出せなかったものが 表に出てきた、
という言葉を添えに使えば良いのかもしれません。


今年1年を振り返るのであれば、まず間違いなく初海外、というのが上げられます。
自身、数年前から行きたいという気持ちはありながらも行動に移せずにいた、海外に行くということ、
これを7月に果たすこととなりました。

自身、初海外は台湾に代表される、近くて日本語が比較的通用する場所かと思っていた。

ところがどっこい、蓋を開けてみたらアジアを遥かに通り越して、降りた先は
ユーラシア大陸最西端の地を持つポルトガル。
ここで過ごした1週間は、文字通り人生を変えるものになる気がした。

帰国直後にも、そして約半年経った今もこう思えている。おそらく1年後5年後10年後、
またいつになるかわからない2度目の海外となった際にも、この日々のことは何らかの形で
思い出すことになると思う。
※旅行のことは、いつになるかわからないけど必ず記します。自分だけのものにしておくのは勿体ない。


そしてもう一つ強く感じたこと。
 みんな、ちっぽけなことに悩んで、怒っているんだな、ということ。
それらが、申し訳ないけど、すごくくだらないと感じた。

日本とポルトガルの時差は9時間。サマータイムの時期だったので実際は8時間。
昼と欲が逆転しているといっても過言ではなく。 ハワイみたいに日本人が多い場所ではない場所なので、
日本のことは持ってきたスマートフォン越しに見たのですが、この、小さな画面で並んでいた
文字の羅列に込められていた事は、自分にとってはちっぽけなことに過ぎなかった。
こういう風に思うのって、日本じゃ難しいこと。大きな収穫だと思った。


「ちっぽけなことに縛られるのって、くだらない。」


この言葉、今後自分が二度と目を覚まさなくなる日まで携える事になると思う。

あと2つ、自分が強く思った事。
 「楽しもうよ、自分」ということと、「もっと正直になろうよ、自分」ということ。
 これについてはこれからが正念場。来年への課題と言える。
365日後、自分に課せたこの2つが果たせるように生きなければいけない。

文字通り転換期とも言えた2014年がまもなく終わる。
そして転換期の後の正念場とも言えよう2015年がすぐそこだ。
先にも書いたとおり、そしてタイトルの通り、「自分を出して」生きることを誓って
2014年に別れをつけることとします。


相変わらず筆無精極まりなく、ここでの更新がこれだけになってしまいましたが
本年関わって頂いた皆様に多大なる感謝と、来年も宜しくという気持ちを伝えたいと思います。
ありがとうございました。


追伸:
私事ですが、服喪期間のため新年のあいさつは差し控えさせていただく旨、ご容赦ねがいます。

/arkia(on 2014-12-31)
(2014年12月31日、23時30分)
2013年12月31日火曜日、快晴。
2013年の終焉。

文字通り、『1年ぶり』の更新です。
個人的にはなんだか複雑な心境もありますが、これが今の自分、ということで。
事実は事実。これを記して、自分自身と環境を改める為の備忘録としておくとします。

『今年もいろいろありました』
毎年毎年、面白いくらいにこの言葉が浮かんでくる。
しかも、その中身は昨年には思ってもみなかった事柄であったりするわけで。
昨年は、自分自身の罪と罰、という事柄でこう思ったのですが、今年は言うなれば
周りに振り回されっぱなしの1年だったのかな、と思います。
まぁ、それをしっかり制御できなかったという意味では自分の至らない所、罪だったと
考えれば昨年と変わりはなかったのかな、とも考えられますが。
※さすがにそれは強引すぎるか。

まぁそれでも、思ってもみなかった事柄を「経験した」り、思ってもみなかったことを
「近くで見ていた」という意味では全然悪いことではないわけで。
こういった事柄を経験した分だけ、このように1年を振り返ろうと思えるようになるわけで。


今年は良かれ悪かれ、完全に仕事モードの1年でした。
この1年あっというま、という言葉を特に感じた1年でもありました。
否、それを感じる間もなくあれやってこれやって…そして1年が終わってしまう。。。といった感じで(苦笑)
もちろん、仕事があるということは異論等諸々あるにせよ悪いことではないわけで。
欲を言えば、ちょっとだけ事前準備と事後整理の時間が欲しかったな。。。と思うところは多々感じます。
来年は、この時間を捻出するのが課題・目標でしょうね。


さて、2013年はどんな年だったか?と振り返ると、自分はこの言葉にたどり着きます。
「自分の目で見た物以外、基本信じなくなった」

今年急にそう思い始めた、というわけではなく前々から物事に対してこういう見方をしていたのですが、
この見方を完全に自分に楚つけたのがこの2013年なのかな、と思っています。

・「便利というものに対する嫌悪感」
・「文字、写真だけではなく空気を感じないと気がすまない」

これまで思っていた事柄に色々な実体験が化学反応を起こして自分の中に固まった、そんな1年でした。
本来ならばそれを振り返りたいところですが。。。これ以降はお察しください(苦笑)


さて2014年、「あれもしたい、これもしたい」と思う事柄、ちらほらあります。
でもまぁ、それについては日を改めて、ということにさせてください。
※と記して近いうちにまた記しますという意思表示と自分へのプレッシャー(笑)

一つだけ書いておくと、仕事はもちろんそれ以外のところでも実の詰まった1年を過ごしたいな、
と思っています。それも仕事だけではなくバランスよく。
それができれば自然とこの場の更新も捗ることでしょう。
そのために、この場を手直ししようと思っていますし(笑)
※「今度こそ?」「今度こそ!」「本当に???」「。。。ほんとうに」
※最後弱気になっちゃダメですね、はい。


これ位まで以上にまとまりのない文章になりました。
最初にも書いたとおり、これが自分の2013年だったのは事実。認めようがなかろうが。
良いこともそうでなかったこともたくさんありますが、これを来年見返して、
その時の自分にとっての糧になればと過年は全て良い年だったものになるな、そう思っています。
※封印したら多分そこから良くなることはないでしょうね。

写真は恒例、今年見た年の終わりの東京タワー。
なんだか忙しなく見てしまったな、というのが感想。
まぁ、忙しなかった自分がいた2013年だったがゆえにそう思ってしまったのは
決して間違いではないと思います。
来年はもうちょっと、もろもろ落ち着きたいなと思っていますが。


それでは良いお年をお迎えください。
1回だけの更新となりましたが、ありがとうございました。
/arkia(on 2013-12-31)

(2013年12月31日、23時)
2012年12月31日月曜日、晴。
2012.closing / approach.2013

2012年の東京タワーは、今まで見てきたものとは何かが違って見えた。
これは、自分にとってプラスなのか、マイナスなのか。
それも今の自分にとっては勿論ですが、1年後、5年後、10年後はどうなのか。


『今年もいろいろありました』
あまりにも月並みで、使い古された言葉。確か昨年も使っています。
でも、この言葉を使うのが適当だと感じることが幾度と無く有る。
毎年末この文章を書くときに、「今年は何を書こうかな」と思うときに、
真っ先にこの言葉は浮かんできます。

今年は個人的には、仕事が大半を占めたかな、と思います。
悪いように言い換えてしまうと、仕事に忙殺されたとも言えますが、
自身、物事はそういうふうには考えたくないので。
実際、仕事で得られているものはたくさんあるわけですし。
収入であり、充実感であり、人間関係のネットワークであり。
1日1日、目の前にあるものを片付けていたら気がつけば大晦日、でした(笑
※いつになく大晦日感がない自分が、ここにいます。

詳細についてはいつものとおり割愛しますが(笑)、2つの言葉に集約させたいと思います。
実はもう2,3あるのですが、それはまとまったらそこはかとなく表に出します(笑)

『罪を憎んで人を憎まず。』
今年はこの言葉の意味、改めて痛感しました。
他人事でもあり、そして自分事でもありました。
割り切りは、時には多大な痛みを伴う。
でも割り切ることができる、というのは
いいことだったりもします。
痛みはあるけど、気持ち的には楽なのかもしれません。

『自分が成長するためには、自分自身を否定する必要がある。』
今年、一番反芻した言葉。
これまでも否定し、否定され、それでもこの言葉を糧に立ち上がった。
今年は、これまでにない形で。その分、これまでにない形での成長があるのかな?
過渡な期待はしないけど、楽しみにしておきます。

今年1年、果たして良い1年だったのか?この問いに対する明確な答えは、
情けない話今の自分は持ち合わせていない。
でも、生きているってこと。これが何よりも「よい」という事じゃないかな、と思います。
年末に東京タワーを見る理由、それはこのことを確認するため。
来年も、それを確認するために行く事でしょう。
果たしてその時に自分、どんな気持ちを持っていくのでしょう?

今年1年、この更新が唯一の更新となってしまいました。
大変申し訳ありません。
でもその分、現時点では理由なき確信となっていますが、
2013年は色々と書いて行きたいな、行けるかな、と思います。

正直言うと今年1年、いろいろ纏めるのが難しいです。
それは自分自身に起因するのか、周りに起因するのかわからない。
でもまとめられなかった以上、来年はまとめないとな、と思う次第です。
そのためには、随時記していかないとね(汗


唯一のnotesとなってしまいましたが、今年1年ありがとうございました。
どうぞ、良い年をお迎え下さい。
written in 2012.12.31 aki.o/arkia(arkia_0901)

(2012年12月31日、21時55分)
2011年12月31日土曜日、快晴。
2011年、という壁の先に(2011年最終更新)。
今年の更新、もしかしたら10回にも満たなかったのかもしれません。
ただ、今年の結びの更新についてはしっかりとさせていただこうと思います。


写真は今年の仕事納めの日(12/29でした)に見た、今年の東京タワーです。
写真ではわからないのですが、展望台の部分がキラキラと光っていました。
確か記憶では、昨年はそういうのが無かったと記憶しています。
あくまで想像なのですが、これは来年2012年がこの展望台のように
キラキラと明るいものになってほしい、というメッセージが込められているのかも
しれません。



『今年もいろいろありました』
1年を振り返る常套句としてよく使われる言葉です。
自分自身、この言葉を使うときに心に留めているのが、いろいろあった、
といってもその中身が同じ事は無いということ。
常套句に甘えること無く、その中身の本質をしっかりと留めておく
必要があるわけです。

話がそれてしまいましたが、今年はこの言葉を使うのが一番適当で、
そして一番ためらわれる年なのかもしれません、
日本全国およそ1億3,000万人、いや、世界の人口およそ70億人が。

2011年、文字通り激動の1年だったと思います。自然災害・世界的な財政不安・
そして世界情勢上の大変動。
振り返ってみると、「あれって今年の出来事だったっけ?」という事が
これまでよりも多く出てくるのではないのでしょうか。

そして、避けては通ることのできない3.11、東日本大震災。
東京駅近くの職場から帰宅することはできずに知人宅に避難。
翌日、満員の埼京線と異様な静けさを持った小田急線を使って
帰宅した事は今でも覚えています。
更に言うと週明け、どうしても出社しなければならなかった日の
超が付くほど満員の田園都市線と、計画停電の影響で電車で帰宅が
できずに車通勤の親と合流するために2時間近く京王線の東府中駅前で
待ったことも、記憶の奥深くにあります。

そして、現在は地震そのものの報道よりも多くなっている、
東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故に伴う放射能漏れの問題。
事故が起きてから、自体はより最悪の方向へ、とはなっていませんが、
現状が良くなっている兆しは全く見られません。
当然のごとく、この原子力発電所は廃炉となりますが、それにかかる年月は
30年から40年とも言われています。

今年の夏、関東地方の鉄道ではいわゆる節電ダイヤを始めとした
節電対策が行われました。
先週、京都・大阪に行ったのですが、電車等の節電対策(日中時間帯に
車内の電源が切られる)がこのタイミングで始まった感じがありました
(節電ダイヤ、というのはありませんでしたが)。
関西地方は原子力発電所の依存が高く、福島の事故前後に法定点検の為に
運転を停止した発電所が運転を再開できないでいるなかで需要の多くなる
冬に突入してしまった、というのがこの要因の一つです。



これまで経験談を元に記してみましたが、ここからは常日頃思っていて、
今回の地震によって改めて感じたことを記したいと思います。

ヒトという生物は非常に弱い存在。生態系の頂点に立っている、
という考えは単に自惚れているだけ。
そして、自惚れが頂点に達したところで奈落の底に叩き落される。
実際は、思ったより強くなんかないのに。

具体的なことは、非常にありすぎるのでここでは敢えて挙げません。
でも、今年の粗方のことはこの事に集約できるんじゃないかな…と考えます。


ただ、そんな中でも、だからこその楽観的な考え方があると思います。
これより悪いことはまず起きない。
今年が「非常に悪い」年だったとしたら、それよりも悪いことは起きないはず。
そして、それを信じて・願って行動を起こさないといけないと思います。

「悪い」事が起こるだけ起こったと考える人が多い2011年。
しかし先に記したとおり、2012年はこれ以上「悪い」事は起きないと考えています。
ところが、「悪い」事を見て・感じてきて、「悪い」事に敏感になっている
この身体とココロをそのまま持って行っても、恐らく「悪い」ことにしか反応を
示さなくなっているんじゃないかな…と少し怖い気もします。

時期は過ぎてしまいましたが、John LennonのHappy Christmasの歌詞の一節に
"War is over if you want it,War is over,now!"というのがあります。
あまりにも有名な一節なのでもはや説明すら不要かと思うのですが、直訳をすると
「あなたがそれを望めば戦争は終わるのです。あなたが望めば、今にでも…」
となります(一部自分なりの解釈を加えています)

それを望まなければ何も始まらない。
至極当然の事なのですが、とても重要で、とても大切なこと。
少し話がそれましたが、ここで何が言いたいかというと、
「良いことを望まないと、良いことは起きないよ」という事です。
拙い文章でアレなのですが、これが自分の一番言いたい事だったりします。
どうか、周りの「悪い」空気にココロ・身体を支配されないで下さい。


先ほどの続き。
たとえ叩き落されたとしても、這い上がるチカラを持っている。
これは、日本の例だけでも関東大震災、太平洋戦争、阪神・淡路大震災を経て、
それでも立て直しを果たせているという実績がある。
今年起きた東日本大震災後でも、立て直すことはできるのだと考えています。

確かに今回はこれまでと違い、時間はものすごくかかるでしょう。
残念なことに、これまでのツケを後世に背負ってもらう事になってしまうのでしょう。
だからこそ、今を生きている自分たちは、その子たちの為に生きなければならない。
果たして何が出来るのか?これについての答えは色々ありすぎて書ききれませんが、
この場に書くとするならば、次の世代に明るい道を作っていくことだろうと思います。
否、「何ができるのか?」ではなくて「やらなくてはいけない事」なのかもしれません。



私的な事がほとんど書けませんでしたが、この1年、自分自身の身の回りにも
色々なことが起こりました。
泣いて、笑って、悩んだ事だらけですが、冒頭に写真を上げた東京タワー、
昨年見た時よりは前向きに見ることができたんじゃないかな、と思います。
もちろん諸々課題だらけではありますが、来年はそれらを越えて
また、胸を張って見ることができたらいいな…と考えています。


そして来年は、ここでの更新をもっと増やしていきたいなと思っています
(具体的に数値目標を上げなければダメですね…汗)。

2011年という年に自分に関わってくれた人に深謝の気持ちを伝えつつ、
また、2012年もよろしくお願いしますという気持ちを残して、今年の更新を
締めくくろうと思います。

どうぞ、良い年をお迎え下さい。ありがとうございました。
written in 2011.12.31 aki.o/arkia(arkia_0901)

(2011年12月31日、11時25分)
2011年 7月17日日曜日、快晴。
3.11、あの日。
3ヶ月どころか、ほぼ4ヶ月ぶりの更新ですね。
最後の更新が3.11の前だったので、もしかしたら…なんていらぬ心配を
かけていたのであれば申し訳ありませんでした。

冒頭に記したとおり、「あの日」から4ヶ月が経ち、既に100日以上経過しています。
今更、並びに月並みな言葉ですが、今回の震災の被害に遭われた皆様へ
お見舞い申し上げると共に、亡くなられた方へ心よりのおくやみの言葉を申し上げます。


記録として残す意味でも、当日のことを幾ばくか。
震災当日は職場にいました。
自分はあまり外(屋内含む)では地震の揺れを感じない人なのですが、そんな自分でも
この時の揺れは大きく、そして長く感じました。

外に出てみると、既に同じビルの他のテナントの人含めて100人近くが外に避難。
携帯電話が全然つながらないことを感じ、ただ事ではない事を実感。
職場近くに皇居があり、そこまで歩いて避難したのですが人も車も多く、
まさに大混乱とはこういうことなんだな。。。ということも実感しました。

家族と連絡がついたのは夕方過ぎ。
上司が持っていたPHSが偶然つながり、父親以外の無事を確認。
父親についても、職場の同僚が持っていた携帯に電話がつながり
19時前には全員の無事を確認しました。

そして郊外の民最大の懸念事項が立ちはだかりました。
自宅に帰る為の手段がこの辞典で確保されていないことです。
同じ東京都内にもかかわらず、23区内から電車で行くためには
必ず神奈川県を通らなければならない事で有名な町田市。
職場のある中央区から電車で1時間強かかります。
ご存知のとおり、当日のJRは首都圏全ての路線が終日運休。
自分は現在、通勤にJRは使っていないのですが、地下鉄・私鉄も
軒並み運休となりました。

皇居敷地内にあるレストハウスに避難しひとしきり情報を集めた後、
大半は歩いて帰途へ(23区内・川崎市・船橋市:およそ4時間くらいとの事でした)。
ちなみに、職場から自宅までの徒歩経路をgoogleマップで調べてみたら
国道246号線を歩いて7時間近く要するという結果が出ていました。

先ほど情報収集と書きましたが、ちょうどノパソを持っており、
iモードは繋がらなかったのですがPCのネットは比較的繋がりやすかったです。
そんな中、23区内に住んでいる知人にSNS経由にて連絡が取れ、一泊することにも
了解を頂くことが出来、ほぼタイミングで地下鉄(銀座線・南北線・都営三田線だったかな)が
動き始めたとの情報が入ってきたためまだ残っている人達に別れを告げて移動。
※自分が使っている私鉄路線ですが、当日は終夜運転をしたみたいです。

都営三田線を使っての移動だったのですが、乗り始めた日比谷駅はがらんどう。
切符はどうするのかな? などと思っていると改札は解放モード。
そのまま入るとちょうど電車が止まっていました。乗っている人はまばら、十分座れる状態。
余震に対する警戒とのことで、途中駅まで速度制限をする等々のアナウンスがあった後、出発。

…次の駅、大手町が大変なことになっていました。

あ、駅舎が壊れている等ではなく(汗)。
ひとことで言うと、朝の通勤時間帯よりも多い人ごみだったと感じました。
幸いにも座れていたので事なきを得ましたが、降りる駅まで人ごみが
解消されることはありませんでした。

改札で知人と合流。
知人宅にお邪魔する前にコンビニに寄ったのですが、印象的だったのが携帯電話用充電器が
ほとんど無かったこと。
その後の記憶に新しい食料騒動の前だったため、食べ物や水等については
特段問題なく購入はできました。

その後知人宅にお邪魔、近くの銭湯に寄り(普通に営業していました)、再度知人宅へ。
その後に控えていた、別の知人の結婚式の打合せ等々話していました。
※この話については別の機会に。これを書いているタイミングで既に終了しているため、
そう遠くないタイミングで書きたいと思います。

翌日は10時半過ぎに知人宅を出発。
埼京線で新宿まで出たのですが、自分と同じく帰る事ができなかった人が多数いたせいか、
ほぼ満員電車並みの混雑でした(通常の半分の本数だったというのもあるのかもしれません)。

そんな中、荷物が多かった(万が一、とのことで職場から色々持たされていた)自分は
既に乗っている人に助けられる一幕。助けていただいたのは齢60近くの男性。
同じドアから自分と同じくらいの年齢の女性も乗って来て、同じように
誘導。自分も無意識に誘導。そして何の抵抗もなく、池袋まで話をしていました。
全く見ず知らずの人なのに。
男性は、この週末に福島に旅行に行く予定だったけど宿が営業不能とのことで
キャンセル。女性も、昨日の交通マヒで帰れなかったとのことでした。
そして自分もこれから町田へ帰宅。何とも不思議な一体感がありました。

新宿で降りて、営業していたヨドバシへ。
携帯の電源自体は持っていたのですが、それをつなぐ専用のケーブルが
無かった為、あるかどうかを見て、そして確保。
※実はちょっと電池が微妙な状態でした。。。

そして小田急線で町田へ。定期は持っていないのですが、昨日の駅前の様子を
テレビで見ていたときに、いつもとは違うけど万が一、ということを考えて
町田経由で帰ることに。

小田急線は急行と各停がそれぞれ15分おきに出ていました。
異様な静けさに動揺しながら、電車に乗り、そして町田に着。
ここから更に乗り換えが発生するのですが、本数は3割〜5割のところ
幸いにもちょうどのタイミングで乗ることができ、そして帰宅となりました。


「まだ」4ヶ月なのか、「もう」4ヶ月なのか。
この問に対する答えとして適当なものはありません。
むしろ、そのどちらにも当てはまることばかり。
当日の自分の事については正直な話、もう4ヶ月前の事なんだ、
と思うことがある一方、原子力発電所の事故の復旧進捗やそもそも町の復旧が
ほとんど進んでいないままに気がついたら、と考えると
確かに時間は経過しているんだな、と考えざるを得ません。

個人的な話で恐縮ですが、知人がボランティアとして岩手県の釜石に滞在しています。
facebook上で現地の写真・情報を発信しており、その様子を見ていると復興への道の
険しさを痛感します。
現地で何が必要なのか、要望が一番高いのは食料品関連。食糧そのものも勿論なのですが
調味料やフライパンなどの調理器具、ラップ・アルミホイルなどのキッチン用品も
需要が高いそうです。
また、今は状況が変わっている可能性があることを先に断りを入れた後で、社内の
取引先経由でアメが欲しいというようぼうもあがっておりました。
これは4月末〜5月の話で、社内で200袋近くが集まり、現地へ送ったという
出来事もありました。


正直な話、自分がこの地震に関連する内容を発信するのは結構もやもや感を感じます。
おそらくそれはいろいろな人が感じていることとに類似していると思うのですが、
この3.11を経て自分は何をする必要があるのか、そして何が出来るのか、
その根幹となる解答が自分の中でまとまっていないのが原因なのでしょうね。

とはいえ、少なくてもこれは間違いなく言えるということをあげるとしたら、
同じ日本人として、否同じヒトとして苦しんでいる人を放っておくことは出来ないよね?
ということ。
救いの手を出す方法はこれこそ正解はなく。むしろ逆で、考えうるもの全てが正解となる
と思います。
そのなかで、自分が一番自分らしく自然体で出来ること、抵抗感なく出来ることをやれば
いいんじゃないかな。。。と思います。

(2011年 7月18日、 1時55分)
2011年 3月 5日土曜日、晴。
もはや義務を通り越して居るのは否めなくなってきた。
忘れた頃にやってくる現在地:羽田空港。

はい、その後の行程も「いつもどおり」です。
昨年は多忙・多用につき一度も行かれなかった大阪に行ってきます。

なんというか、旅行かばんの詰め方すら忘れてしまった自分がいて軽くショックを受けてしまいました。。
果たして、今回の旅の涯には一体何がまっているんでしょうかね。。。楽しみでもあるけどね。


あ、そうそう。
以前来たときとの大きな違いが、保安検査場C,Dが出来ていたということ。

(2011年 3月 5日、 6時30分)
2011年 1月18日火曜日、快晴。
2011 opening days.
2011年になりました。
既に2週間余が経っていますが、本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年まで私的にドタバタしていた事があったのですが、その終着点、ようやくはっきりと見えてきました。
まぁでも、終着点に見える場所には併せて別の事柄の始発点が往々にしてあるわけで。
どういうものがあるのか、それについてはまだ知る由もないのですが、ここ最近常に思っている「愉しむ」
という気持ちを以て終着点・始発点に向かいたいな、と思います。
※早速別のドタバタがあり、今日が今年の初更新となったわけですが。。。


今更ですが、正月三が日は自分としては珍しく、TVを観る時間が多かったような気がします。
主にスポーツもの。これはすなわち、自分が何らかのものを本心としてスポーツに求めている、という事ですかね?
まぁ、その「何らか」についてはいろんな要素がスパゲッティ状に絡んでいて、解くのには時間がかかりそうですが。。。
※さておき、今年は昨年全く行くことが出来なかった生での観戦、行きたいところ。。
※併せて舞台や音楽なども…(キリがないので略


ここ最近感じる・思っている事は、「物事は、表に出さなきゃ伝わらない」ということ。
これは至極当然のことなのですが、自分を含めて出来ている人、果たしてどの位いるのでしょうか?

ビジネスの場においては、得てして認識の違いは起こりやすいもの。
しかも、その発端はほんの細かなところより生じるわけでして。
『聞くは一時の恥、利かぬは一生の恥』という諺がありますが、ことビジネスの場においては
それが恥だけでは済まされない事態(お金が関わること)に陥ることだってあるわけです。

急に偉そうなコト書きやがって…ってなってますが、シビアに考えるとそういう事。
もちろん、自分も他人事ではなく。それを常に意識して人と接する必要があるのです。

あ、ちなみに先にも書いたとおり、自分も出来ているわけではないので、ね。
お互い努力しましょうね、ってことで。
※いわゆる2011年の目標の一つ、ですよ。


でもでも、去年は表に出すことについて色々と考えすぎていたのも事実。
なので、今までよりも自然体でいられたらなと思っています。
ココの更新についても、肩肘はらずに出来たらいいな。。。と考えています。

(2011年 1月19日、 1時39分)
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